地獄の沙汰も……

「そういえば、鬼灯様。閻魔様にはもう一人補佐官がいらっしゃいますよね?」
「あぁ……いますよ。正確には閻魔大王ではなく私のですが。それがどうかしましたか?」
「いや……新人研修以来姿を見てないから一体どの様な仕事をされているのかなぁ〜って」
「成る程。彼女は今視察に出ていないですが、もうじき帰ってくると思いますよ」

会いますか?と鬼灯の問いかけに対し戸惑いもなく頷く茄子に、おい!と咎めながらも気になるのか、俺も……と頷く唐瓜
じゃあ、少しここで待っててくださいと二人に指示を出し、手に持っていた書類をドンっと少し離れた隣の机(鬼灯の机並みに書類が積み重なっている)に置き鬼灯は金棒片手に部屋を出て行った


***


漆黒のクセのない髪を2本の簪で結い上げ、ハイウェストのワンピースを着た1人の女性が閻魔殿を揚々と歩いていた
服装故、地獄の住人とは程遠い雰囲気を醸し出しているが、皆、一目見て誰かを把握し、お疲れ様ですと声をかける
それに対し、女性は同じようにお疲れ様と微笑み通りすぎる
その女性が過ぎ去った場所からは、地獄としては相応しくない桃の香りが香る

「このまま、午後サボっちゃおうかしら」
「聞き捨てならない言葉が聞こえましたね」
「ん?あぁ……鬼灯」
「お帰りなさい。貴女がいない間の仕事がたっぷりですよ」
「えー。なんで鬼灯片付けてくれてないんです?」
「貴女のサインが必要なんですよ」

彼女──はここで働く女獄卒だ。所属は閻魔大王第一補佐官秘書。唯一の鬼灯直属の部下である
自分のサインが必要な書類は多い。それは確かだが、自分が絶対にサインをしなければならない書類はそこまで多くない。つまりは自分でなくとも、ここにいる鬼灯でも事足りるわけで、キッと睨むように鬼灯を見れば、至って普通の顔でなんですか?と首を傾げられた

「押し付けたわね。まぁいいけど、兎に角着替えてくる」
「早急に戻らないと貴女の机上の書類、雪崩れますよ」
「どんだけ私に押し付けたわけ!?」
「さぁ?あぁそうそう。茄子さんと唐瓜さんが会いたがってましたので執務室に通してありますから」
「茄子と唐瓜……あぁ新卒の」
「貴女の記憶力は本当に驚かされますね」
「お褒めいただき光栄ですわ鬼灯様」
「きもい」
「黙っとけ鬼灯」

閻魔殿の中故、上司の鬼灯に手を挙げることはなかったがの手はプルプルと震えていた
それを見なかったことにし、鬼灯はの横を通り過ぎる。も鬼灯が通り過ぎると頭を振って着替えをするため自分の部屋に入っていった

──数分後

濃紺地の古典柄が描かれた着物に、なにやらよくわからない柄が入った帯を締めて、草履を履いたが執務室に姿を現した
先程とは違う格好で身が引き締まったのかだらけた表情ではなくピシッとしている

「やぁ、君達が茄子くんと唐瓜くんだね。敬称は苦手だから今度から省かせてもらうよ」
「お、お疲れ様です!」
「お疲れ様です〜」
「元気があっていいねー。さぁ君達は私に何か用だったの?」
「あ、はい!様はどの様なお仕事をしているのかと思いまして」
「単純に興味があったのね。そうねぇー」

と仕事部屋の自分の机上にたんまりと置かれた書類に溜息を吐き、おいでと2人を手招きする
覗くように机上に置かれた書類を見た2人は目を見開いた
そこに置かれていたのは、それぞれの地獄から集められた書類。しかも赤でなにやら修正が入っている。金額の訂正や誤字脱字の修正、時折始末書の言い回しにも赤が入っている

「基本は鬼灯と同じ仕事をしているわ。だけど報告書や始末書、請求書の管理は全て私の仕事。だから見辛い書類はこうやって突き返しているの」
「ほぇー!大変そう」
「だってこれぐらいやってあげないといつまでも上達しないでしょう?因みに違う書類でも同じ人が書いたなら、一度赤入れた所と同じ所が間違ってたら受け取らないことにしてるの」
「大変だ……気をつけないと」
「確認は大事よ。茄子も気をつけてね。見た所書類整理とか苦手そうだから」
「ギクッ」
「言われてるぞ」
「唐瓜も気をつけなね。暫くはあまり書かないだろうけど、新卒だから仕事を覚えないと」

と、赤入れをした書類をどこからか出した簡易机の上に置き、次の書類に手をかけた
次は何の書類かと気になるようで、先程と同じ様に書類を覗き込む
が、が自然な動作で壁に掛かっている時計に目を向けたものだから釣られて2人も時計に目を向ける
──その時計は1時を示していた
さぁーっと顔が青くなる唐瓜に対し、あ。と間抜けな声を出す茄子
彼等が何時から昼休憩を取っていたかは知らないがその様子を見るに少し過ぎてしまっているようだ
どうしようと慌てる唐瓜の頭を撫でて、よいしょと先程がチェックしていた書類の束を手渡した

「え?」
「君達は私の仕事を手伝ってお昼の時間がズレてしまった。で良い?」
様……?」
「これ記録課に届けてきて」
「は、はい!」
「因みに午後の仕事は?」
「奪衣婆の所で掃除です」
「わかった。連絡しておくから書類届けたらすぐ向かいなさい」
「本当様ありがとうございます!!」
「ありがとうございます!」
「お礼はいいから次から様付けやめて欲しいかな」
「「はい!」」

パタンと音を立てて扉が閉まる
地獄のチップとデールと呼ばれる2人がいなくなり、シーンと静まり返った部屋で溜息一つ
の机上には、相変わらず雪崩れたら悲惨であろうぐらいの書類が積み重なっている。勿論、隣の鬼灯の机も同じ
この時間だから閻魔様の所かなと手に持っていたボールペンを置く
と閉まっていた扉が音も立てずに開いた


「お帰りなさい。鬼灯」
「現世視察の報告書待ってますよ」
「はぁ?ちょっと待って!現世視察なんてしてないわよ」
「昨日、今日で行ったでしょう」
「仕事じゃなくてプライベートでね!」
「行ったことは行ったんです。さぁ報告書
!!」
「サービスで仕事なんかしたくないので書きません。そういうならオーストラリアの報告書上がってきてないけど?」
「あれは自費で行ったので報告書など必要ありません」
「その言葉そっくりそのままお返しいたします」

と鬼灯を睨みつける。鬼灯は唐瓜さんと茄子さんに視察って言ってしまったんですけどね。と呟き、金魚草のボールペンを片手に書類の確認を始めた
誰か何と言おうと、私は有給休暇を使って現世に行ってきたのだ。しかも先日、鬼灯が取った有給休暇より少ない日数で(あの日は大変だったなぁと遠い目をしたくなるが必死で堪えた)
鬼灯が書いていないのにたかが1日半休んだ私が書くわけがない
というより、いつもこのやり取りしてないか?

「所で誰と行ったんですか?」
「鬼灯にはなんら関係ないと思うけど?」
「報告書を書かないなら、それぐらい聞いてもいいでしょう」
「パワハラだー。セクハラだー」
「パワハラでもセクハラでもありませんよ。友人として聞いているんです」
「……つまりは個人的に気になると。絶対教えませーん」
「まぁ、白豚さんと行ったってことは知っていますけどね」
「知ってるなら聞くな!」

机に置いたボールペンを掴み、鬼灯に向かって投げる
しかし、それは鬼灯が叩き落としてしまった。ガチャンっと、床に落ちた音とは思えない音を立てたと思ったら、ボールペンにヒビが入っていた
鬼灯は流れるような動作でを見る
その表情は相変わらず無表情だが、纏う雰囲気か、それとも長年一緒にいたからか、その表情には若干の苛立ちを含んでいるのが確認できた

いつもこうだ。白豚……つまりは白澤様と一緒にいると、嫉妬の様な苛立ちの様なよくわからない感情を向けてくる。その感情の意を知らぬ私ではないのだけど……
なんか納得いかない。イライラする
鬼として生まれて数千年。鬼灯と同じぐらい長く生きてる。異性から向けられる好意の視線に気付かない程、鈍感な訳ではない。鬼灯が私に向けるその視線に好意がある事なんて“ここ”に来た時から気付いてた。勿論それを誑かしていた訳でもない
友人以上恋人未満──それ以上の関係を私は望まない。と好意を言葉で表された時に告げた筈で。鬼灯も納得した筈なのに、今も虎視眈々とそれ以上の関係を狙っている

鬼灯と一緒にいた時間が長い様に白澤様と一緒にいた時間も長い
尤も獄卒になってから、仕事の関係で鬼灯と一緒にいる時間の方が白澤様と一緒にいる時間よりも長くなってしまったが
それでも、獄卒になる前は毎日白澤様と一緒にいたし、獄卒になってからも暇な時間は、殆ど白澤と共に過ごしている
──そう、私は白澤様を愛してる
私と白澤様の年齢差は親子以上。それはあくまで人間として考えれば。神獣であり不死の白澤様と幾千年も生きる鬼の私にとってみれば、人間でいうちょっと年の離れた相手ただそれだ。確かに、彼は私の幼き頃から共にいる。時に父と感じる節があるが、お互いがお互いを異性として感じているのだから何ら問題はない。白澤様の女癖は昔からなのでもう慣れた

「上司に向かって暴力とはいい度胸ですね」
「そっくりそのままお返しいたしますよ」
「私は仕事をしない上司に当たっているだけです」
「私もパワハラをしてくる上司を蹴散らしているだけですが?」

ダメだ。終わりの見えない会話をしている。と鬼灯とは思うがお互いに止めるつもりはない。だが、このまま行けば、幾ら手を動かしながら仕事をしてるといっても、効率が悪く残業だろう
それだけは避けたいは頭を振り、溜息ひとつ

「美味しい甘味屋今度連れてってあげるから」
「……知ってるところだったら許しませんよ」
「言ってくれるね」

カリカリカリ……その一言を最後に2人から会話が消えた
時折、業務の事で会話を交わすもそれ以外の私語はない
雪崩れそうになっていた書類はあっという間に半分程度になり、簡易机に置かれた赤入れ書類も偶々通りかかった獄卒に預け、明日には担当者の手に渡るだろう

しかし、白澤様と現世に出かける度に、視察と称して報告書を書かせようとする上司をなんとかしてほしい

閻魔大王第一補佐官補佐
過去に色々ありましたが、この地位に落ち着きました





─後書き─
鬼灯さまは好きですよ。
白澤さまの方が好きですが