元一兵だった彼女に与えられるには大きすぎるほどの部屋。いまそこに彼女はいるのだろうか?
閣下の執務室に入るのと同じ様にノックをしようとして……やめた
気配を消して、音を立てないように部屋へ
グルリと部屋を見回せば、大きいソファにだらしなく横たわる姿が。よく見れば書類がデスクに置かれている。仕事中に一休みのつもりが寝てしまったのだろう
前とは違う漆黒の髪が、彼女であって彼女でないことを強く示していた
たった15年。人間にとっては長い時間かもしれないが、長寿の魔族にとっては大した時間じゃ無い。人間と魔族の血を持つオレもそれは同じ
ただ、この時間の間に彼女は変わった。何もかも
一度死を体験し、前世の記憶を持って生まれ変わった彼女は双黒となり、魔王陛下の幼馴染として席を置くようになった。以前の位とは大違いだ。──尤も一兵であっても、上王陛下や眞王陛下のお気に入りだったりして何かと城内にいることが多かったが
果たして、お庭番であるオレが彼女をまだ好きでいていいのだろうか。彼女には新しい生活がある。“ココ”ではない別の世界に
幸せそうに眠る彼女の顔を見て、トクンと音を立てる心がまだ彼女を想っている事の証拠であるが……

壊れ物を扱うように顔にかかる彼女の長い髪を払い、頬に触れる。くすぐったいのか、小さく唸り声を上げるが起きる気配は無い
──ほら。変わった。気配に敏感な筈のがこの行為で起きない筈が無い
本人は変わってないというけれど、環境が変われば変わってしまう。ならばオレが離れるべきだ

「好きでしたよ。この世の誰よりも。これでサヨナラだ」

絞り出た声はあまりにも弱々しく、聞こえたかも怪しいぐらいの小ささだった
──いや、聞こえないぐらいが丁度いい

幸せそうに眠るを愛おしそうに見つめ、音を立てずに立ち上がる
いた形跡を消すように、また静かに扉へ向かう

「……ヨザ?」
「ッ」
「いまの……なに?」

ひらりと揺れた洋服を器用に掴み、寝起きのトロンとした表情でこちらに目を向ける。僅かだが眉間に皺が寄っている。その表情に思わず目を背けた

「いつから……」
「いい夢だったのに起こしたのはヨザよ?あんなこと呟くから」
「……やめましょうよこんな関係」

辛そうな顔をして声を絞り出したオレに、既に寄っている眉を更に寄せる。でもそれも一瞬で、次の瞬間にはふわりとした笑顔を向けてきた

「……いいよ。本当にヨザが私から離れたいと思うなら」
「っ。あんたはいつもそうやって、オレの意見ばかり求める」
「だって、私の気持ちは二の次だもの。ヨザが本気で離れたいと思うならこの気持ちはそっと心のなかに留めておけるわ。でも……」

自分に口を挟む隙を与えないように、やや早口で語る。いつの間にか裾を持つ手は離れていたが、どうしてか、この場を離れるわけには行かなかった。きっとこの場で離れてしまったら彼女を悲しませてしまうという思いが、ここに留めているのだろう

「離れたいのが地位だとか時間だとか言うなら、私の気持ちを押し通したいわ」
「……なんでそこまで」
「だって私、ヨザの事この世の誰よりも好きよ?それこそ、その綺麗な水色の瞳を私だけに向けて欲しいぐらい」
「生まれ変わってもなお、ですか」
「もちろん。例え向こうの世界で生まれ変わろうと、ユーリの幼馴染になろうと、ただあなたを愛してる……それだけじゃ物足りないかしら?」
「はぁ。負けた……そこまで言い切られたんじゃ、オレが離れたい理由がなくなっちまったよ」
「あら。嬉しい。ヨザックとまたお付き合いできるなんて」

クスクスと笑うその顔は、どこか嬉しそうでこっちまで幸せになる。だった頃から変わってない
長い黒い髪をくしゃくしゃになるまで撫でれば、年相応のブスッとした表情を見せる
可愛いと思うのと同時に愛おしいと思う自分は、やはり離れたくないと思っていたようだ

「ヨザ……この世の誰よりも貴方を愛しているわ」
「オレもですよ。
「……しっかりとした言葉はくれないの?」

頬を染め、少し眉を寄せる。その目はすごく真っ直ぐで、こっちまで頬が染まりそうだ
ソファに座るをゆっくりと押し倒し、潤い溢れる唇にそっと自分の唇を重ねた

「愛しています。この世の誰よりも。例え陛下にだってを渡しやしません」
「ふふふ……ありがとうヨザック」

再び育む恋の記憶──
 ──愛していると再び声をかけよう

「な、なぁ……出直したほうがいいかな」
「いいんじゃないですか。入っちゃって」
「幸せそうなの声久々に聞いた」
「それは良かったですね」


扉の向こうで二人が耳を澄ませていたのはまた別の話





─後書き─
ここ数年、今日からマ王が舞台化をしましてね
一番新しいのはともかくとして、キャラのクオリティが高いのでお勧めです
ヨザック大好きです!←