天女に奪われた彼

学園に文次郎の事を伝えれば、皆衝撃を受けていた
それもそうだ。学園一ギンギンに忍者をしていた奴が些細なことで怪我をし、一部の記憶を失っているのだから


「俺の事について文次郎の前では気をつけろ」……結構難しいことを言っているのは分かっているが、これをしなくては下級生にも上級生にも被害が及ぶかもしれない
自分だけが知らない存在が文次郎のストレスになることは、安易に考えつくから

憎いほどのいい天気だった今日は、月も星々も輝きを増している
夜着姿で縁側に座り天を見る
今宵は満月の様で、普段よりも少し大きめの月が辺りを明るく照らしている
忍ぶのに向かないこんな夜は鍛錬を休み、皆で酒を飲んでいたというのに……文次郎があれでは、お流れか
と、言うより気持ちの整理がついていない今、酒なんて飲んだら直ぐに酔いそうな気がして……一人になりたかった

お前誰だ

あの言葉は本当に血の気が引いた
皆がいた手前抑えたが、あの場に自分しかいなかったから何をしたことやら
皆一様に心配してくれた。下級生に弱い自分を見せられないと強がっていたが、どれだけ声を上げて泣きたかったか
歳を重ねるに連れ、負の感情を表に出し辛くなってくる
それは後輩の模範に……大人にならねば、なんて思っているから
でもそれがこの世なのだからしょうがない
声を上げて泣けるのは一人か文次郎といる時だけ

ほろりと涙が零れ落ちる
雫は地面に染み込み消えていく
流れる涙は止まることを知らずただただ雫となって落ちていく


「馬鹿文次郎。さみしいよ。お前がいないこの空間が」
「あぁ、馬鹿だな文次郎は」
「っ……留三郎」
「よ!飲まねぇか?」
「……悪いが一人にさせてくれ」
「だったら、最初っから部屋にいろ。そこにいたら構って欲しいって言ってる様なもんだぞ」
「……負けだよ好きにしろ。だが俺は飲まん」


そう。さみしいからこそ縁側に座って月を見ていたのだ。泣きたいわけじゃない
酒に手をつけないのは、こんな感情で飲んだら本当に悪酔いしそうたがら
涙を拭いて隣に座った留三郎に笑かければ頭を撫でられた
それだけで少し気持ちが和らいだのは文次郎と留三郎が似ているからな気がする
本人達に言ったら怒るから心の中の秘密にするが
お礼とばかりにお猪口に酒をついでやれば、嬉しい顔して一口煽る


「本当に飲まねぇのか?」
「悪酔いしたくないからな」
「そうか……ほら泣くなら泣け」
「は?」


いつの間にかお猪口を置いた留三郎は俺の腕を引っ張った
いきなりのことで対処できなかった俺は留三郎の胸に
文次郎とまた違った優しさに胸が痛い
子をあやす様に背中を優しく叩かれる
一定のリズムで行われているそれは溜まった感情を引き出すには充分でボロボロと再び流れ出す涙


「大丈夫だ。誰も見ていない」
「うわぁぁああん」


久々に文次郎以外の前で声を上げて泣いた


***


目が覚めたら予想外の光景に頭の回転が追いつかなかった
……なんで俺の部屋で皆雑魚寝してんの?
いつぶりかと考えて見ても四年のあの時以来か?てか、俺はいつ布団に入った……?
取りあえず泣き過ぎで痛い頭をなんとかしようと部屋を出た
──そこに文次郎がいなかったことを気付かぬふりをして


「ぷはっ!……今日からきっと文次郎が復活してくる」


気を落ち着かせて
悟られない様に
弱みを見せない様に
バシャッと頭から冷たい水を被ればスッキリしてくる
パチンッと両頬を叩いて気持ちを切り替える


「よし!今日も頑張ろう……おや?」
「ふわぁぁあーん。お隣いいかしら?」
「お早いお目覚めで天女様。隣はお好きにどうぞ」
「……誰かと思ったらアンタだったの」
「俺で悪かったな」
「そういえば、アンタと文次郎くんってその程度だったって事よね?」
「何の話だ」
「文次郎くんにアンタ想われてなかったんじゃないの?って言ってるの」
「は?何を根拠に」
「頭打っただけでアンタの記憶だけ消えるなんてどうでもよかったんじゃないの?」
「黙れよ」
「あら、図星?ならあたしが文次郎くん貰うから」
「黙れって言ってんだろ!」


着方の甘い小袖の合わせを掴み押し倒す
首筋に棒手裏剣を近づけ睨みつける
イライラする
冷えた頭が熱を持った気がする
お前と言う存在はなんなんだ
お前は誰だ


「お前の所為だ……お前がここに来てから全てが狂った」
「な、なによ……っ」
「戦乱の世なんて知らぬ癖に知った風な口振りで人を惑わせる。まるで人を黄泉の国に引き摺り込む悪霊の様」
「……なにが言いたいの?」
「何ってお前は忍を育成するこの学園にとって害でしか無いって事。昨日忠告してやっただろ?だから、とっととここから出ていけ。無理と言うなら今すぐお前のその首掻き切ってやる」


漏れる殺気に怯える天女
漸く殺させる事に気づいた様で涙を零し嫌々と首を振る
そんな姿に同情する俺でもなく、棒手裏剣を喉元に刺そうと振り上げる

天女はまだ殺してはならぬ。、殺してはいかんぞ……

ふと、学園長から言われた言葉が頭の中を駆け巡る
振り下ろされた棒手裏剣は、喉元までほんの僅かの所で止まる
──あぁ、まずい……学園長の命令に背く所だった
感情に左右され、危うく命令を忘れる所だった。まだまだ修行が足りないな
棒手裏剣を元の場所にしまい天女から離れる


「……もう、俺の前に現れるな」
「い、言われなくたって!あたしだってアンタに会いたくないわよ!」


井戸から去る天女を横目に拳を握りしめる
ギリギリで止められてよかった
天女が消えてくれるのは万々歳だが、学園長からの命令に背く事になったし、ここで殺してしまえば、ここが穢れてしまう
学園という箱庭に血生臭さは似合わない
下級生は血生臭さをまだ知らなくていい……


「先輩!びしょ濡れでどうしたんですか?」
「三郎か……眠気覚ましに水を被っただけだよ」
「まだ暑いと言ってももう長月です。風邪を引かれたらどうするんですか」
「そんな柔な体はしてないんだがな」
「先輩」


すまん……と三郎の顔を見ずに脇を通る
すれ違い様に、天女の様子を見てきてくれと伝えれば少し経った後、天女の方に向かう音が聞こえた

三郎にはあんな調子で答えたが、確かに暑いとは言え長月だな。服は乾き始めたが少し寒くなってきた。風邪を引くほど柔ではないが、これ以上心配はかけられまいと部屋に戻ることにした


「おう。戻ったか……ってお前なんでそんな格好を」
「ん?水被ってきた」
「水被ってきたって、もう長月だぞ」
「三郎にも言われた。着替えるから出て行って欲しいんだけど……まだ寝てんだろ?」
「あ、おかえりー。後小平太だけだよ」
「あぁ、伊作おはよう。小平太か……長次起こしてくれ」
「…………モソ」


縁側に座っていたのは留三郎。誰かは起きているなとは思っていたが留三郎だったとは。一度部屋に戻った様で制服を着ていた。寝坊助留が珍しい
とりあえず、押入れから手拭いを出して頭に被せる
後ろで長次が小平太を起こすために布団を剥いだ音が聞こえた
──部屋壊れないといいけど



「仙蔵おはよう」
「今日の座学大丈夫か?」
「……変わってもらっても?」
「仕方ない。貸し一つだ」
「おお、怖や怖や」
「安心しろ。ではなく文次郎にだ」
「相変わらずで。でも助かるよ。ありがとう」
「何、緊急事態だからな。それに昨晩は寂しくなかっただろ?」
「お陰で楽しい夢が観られたよ。天女の所為で余韻に浸れなかったがな」
「そうか、それは残念だったな」
「まぁ、いいけど。さ、仙蔵も一回出て行ってくれ。着替えられん」
「……頃合い見て、布団しまいに来てやろう」
「んー?いいよいいよ。布団ぐらい」


と仙蔵の背中を押して部屋から追い出す
障子を閉め、手拭いで髪を包み夜着を脱いで制服に着替える
櫛を入れようとしたが、半乾きの髪は櫛を受け入れてくれなかった
しかたがないので手櫛で髪を纏め上げることにする
乾いたらちゃんと櫛を入れよう

さ、やるかと六枚の布団を三つ折りにして押入にしまう
雑魚寝をする時はいつも俺の部屋。故に何故か俺の分以外に六人もの布団が押入に常備されている
最近はご無沙汰だったのだが……やっぱり雑魚寝は嫌いじゃない

昨晩一人で寝ていたらどんな夢を見ていたことやら……。皆のお陰で悪夢じゃなかった


準備できたか?朝餉食べに行くぞ!」
「今行くー」
「遅いぞ!」
「一番遅くに起きた小平太に言われたくない!」


***


伊作から文次郎が復帰すると聞いた
記憶が抜けている以外は対した傷ではないからだそう。でも、頭を打っているので暫くは座学のみで実技は見学らしい
約束通り真ん中の席を仙蔵に譲り、窓際の席に座る
向き合わなきゃ行けないのはわかっているんだが、どうも気持ちの整理がつかない
と、襖が開かれる音がする
目をそちらに向ければ、所々に包帯を巻いた文次郎が入ってくる
一瞬俺をみて眉をピクリと上げる


「文次郎怪我の具合は」
「あぁ、大丈夫だ。すまなかったな」
「そうか。そう思うなら予算を寄越せ」
「それとこれとは話が別だ!……それより、おい!なんでお前がここにいんだ!」
「あ?なんでって俺の組はここだからな」
「俺はお前なんか知らん」
「文次郎!」
「いい、仙蔵。知らないなら今覚えろ。俺は六年い組学級委員長委員会所属、。女装名はだ。一応六年間お前と同じ釜の飯を食ってきている」
……?」
「そう、だ」
「……嘘じゃねぇだろうな?」
「嘘ではないさ」


という名にまた眉を上げる文次郎。まさかと思うが、“”は覚えているなんてそんな変な事はないだろうな。流石にそんなんであれば心が折れる
頭が痛むのか額を抑える文次郎に近づいて手を伸ばせばパチンッと弾かれる


「触るな」
「っ……悪りい」
「……いや俺も悪かった」
「いつまでそうしてる。もう時期先生が来るぞ」
「あぁ」


授業中は特に何もなかったが終始文次郎がイライラしていた。その連鎖で俺もイライラしていたし、仙蔵もイライラしていた
先生もその雰囲気に気付いていたが敢えて何も言わず何事もなかったように授業を進めていた
で今は休み時間
次の授業への準備時間である為そんなに時間はない。仙蔵は厠に行った
つまりは文次郎と俺だけな訳で……気不味い雰囲気が流れている


「おい、
「できればって呼んでほしいな。でなに?」
「曲者かもしれないお前の名前なんて呼ぶか!あのなのか?」
「俺的には天女様の方が曲者っぽいけど……お前の思うは俺には解らないからな肯定も否定も出来ないな」
「……知らないなら知らないって言えよ!!」
「じゃあ、言わせてもらうが、その答えを聞いてお前はどうするんだ?」
「っ!」
「知らない前提みたいだが、肯定の答えをお前に出したらお前はどうする?信じるのか?」
「そ、それは……」


困惑する文次郎にギリッと奥歯を噛み締めた。つまり俺は否定の言葉しか許されてなかったらしい。それでは問いにはならないだろうに


「……俺はお前と同じ村に住んでいるだよ」


お前があの時助けてくれなければ私は死んでいたかもしれない。だから今度は私が文次郎を助けるよ
私もとしてもとしても愛してくれているお前を……