天女に奪われた彼

。困惑しているようじゃな」
「……思い出が消えるというのは誰とで悲しい事かと」
「まぁよい。お主に一つ忍務を言い渡そう」
「……はっ」
「なぁに、そう畏まる必要は無い。天女と呼ばれる娘についてじゃ」


天女。その名で呼ばれるのは1人しかいない。ひと月ほど前に、天から降ってきた1人の女。自分達より幾らか上であろう彼女は、“ヘイセイ”と呼ばれる未来から来たそうだ。帰る場所がないならと、事務員として一時的に雇われているが、仕事をした試しがない。元々彼女がいなくても事務仕事は回っていた為に、誰も指摘せず放置になっている。
──覚える気のない奴に教える程時間に余裕などない
今現在、の記憶が抜けた潮江文次郎の隣に居座り、会話に花を咲かせている


「は?学園長何をお考えで?」
「簡単じゃよ。我々は天女に対して何も動かん。生徒で解決するのじゃ」
「……一年も巻き込めと」
「左様。文次郎があの状態で辛いじゃろうが、これも試練じゃ」
「……存じております」


ずずーっと静かな空間に、学園長のお茶を飲む音が響く
目を瞑って音に耳を澄ませれば、鈴虫の声に混じり金属と金属がぶつかる音が鼓膜を刺激する。きっと誰かが鍛錬をしているのだろう。学園の夜とはこうでなくては
ゆっくりと瞼を開ければ、そこには鋭い目でこちらを見る学園長の姿が
──流石と言うべきか。その気迫は衰えていないようだ。知っていたけど


「さて、六年い組学級委員長委員会委員長
「……はっ」
「こちらが提示する条件を守り、生徒一丸となって天女否、白鳥雪姫の目的を暴くのじゃ」
「御意」
「そして、その条件じゃが──」


提示された条件をしっかりと叩き込み、上級生を集める為に学園長の庵から退出した


***


「夜分遅くにすまないね。全員いるね」
「潮江先輩が……」
「あぁ文次郎は呼んでないから頭数に入れなくていい」


キョロキョロと文次郎を探す三木ヱ門に、その言葉を投げれば、何人が悔しそうに顔を顰めた。ぱっと見た限り六年は全員だったけど
──すまない。文次郎


「学園長から本日付で指令を預かった。生徒全体で取り組み、結果を出すことを望まれておる」
「またいつもの思いつきですかー?」
「そうだな。いつもの思いつきだ。だが喜八郎。天女の処罰を我々に譲ってくださった。これは嬉しい事だと思わないか?」
「しかし!それでは潮江先輩が」
「……学園長から提示された条件は全部で五つ」


一、学級委員長委員会が参謀として取りまとめる事
二、必ず全員で取り掛かり、何かしらの情報を集める事
三、各委員長に情報を集約後、学級委員長委員会に報告する事。ただし、報告書は下級生が執り行う事
四、次の朔の日に天女への処罰を学園長に報告する事
五、この期間の間に文次郎の記憶を取り戻す事


三木ヱ門の叫びを無視し、指を折つつ伝えれば、学園長の意図を汲み取ろうとする六年と自分の中で条件を整理する五年、必死に頭に叩き込む四年の姿が見えた。これが学年の差か……
うんうん唸っていた小平太が何かに気付いた様に顔を上げた


「文ちゃんの記憶を取り戻す事が条件。んー学園長も考えるなぁー」
「しかも“全員で取り掛かる事”か。どの道、文次郎を巻き込まないと条件達成にはならないのか」
「あぁ、委員会で動いてもらうんだが、生物が大変だな。八左ヱ門だけじゃ回らんだろう」
「流石に……俺以外が下級生ですから」
「それを言うなら、僕の保健や留三郎の用具もそうだよ。それに文次郎のいない会計だって」
「わかってるよ」


記録係の三郎に目を向け、小さく頷けば意図に気付いてくれた様で、同じ様に小さく頷いた
さて、作戦会議をしようじゃないか


「委員会単位で報告書はまとめてもらうが、複数の委員会でチームになって貰おうと思う。会計と作法、図書と保健、体育と用具、火薬と生物。三郎は大丈夫だと思うが会計のサポートに回ってくれ」
「報告書は誰が書けば」
「各委員会の下級生なら誰でも構わないよ。でも偏らないように。他に質問は?」
「……大丈夫だ」
「じゃあ、次行くぞ。天女に関しての処罰など決まっているも同然だが、問題は文次郎だ。そこで、六年に文次郎の記憶を取り戻す事を頼みたい。あぁ……会計も委員会中は少し手伝ってくれ」
「取り戻すって言ったってどうやって……」
「さぁ?」


ガクッ!
首を傾げた俺に、皆一斉にコケた
記憶を取り戻す術を知っていたら苦労しないさ。俺一人で解決している。それができないから、こうして頼んでいるんだ


「なんだ皆。あるとでも思っていたのか」
先輩ならば、その術をお持ちかと」
「雷蔵甘いよ。文次郎と共有している記憶は多いが全てではないし、どれがきっかけで戻るかもわからない」
「……でも、策は、あるのだろう」
「なんとも」
「“”と“”」
「っ」
「お前らにとって、同一人物であり同一人物でないんだろう」
「敵わないなぁ……けど勘違いはするなよ。それが策とは言い切れないからな」


仙蔵の言う通り、“”と“”は同一人物であり同一人物でない。今までひた隠しにしていた過去。いつかは言わなければと思ってはいたが、そのタイミングが今だなんて、思いたくなかった
とりあえず、後輩達に聞かせる話でもないから……どうしたもんか


「先輩」
「なんだい?兵助」
「お邪魔であれば退出いたしますが?ここからは先輩方で話し合われた方がよろしいのでは」
「……そうだな。そうしてもらえると助かる」
「じゃあ、わからないことがあればくんに聞けばいいかな?」
「あぁ。なんでもいい、皆天女の情報を毎日かき集めてこい」
「「「「はい」」」」


失礼いたしました。と一礼をし部屋から立ち去る後輩達。五年は何かを察したのか、テキパキと出て行くが、四年は何か不満そうに顔を顰めて部屋を出て行く。追い出された理由がわからないのだろう
それを教える程俺も優しくはない
後で五年に理由を聞いて納得するだろう
粗方気配が散った様だ。ここに残っている後輩は……


「……三郎。お前もだ」
「先輩の過去とか、すごく興味あるんですけど」
「ダメだ。お前であってもこれは言えない。それに五年が可哀想だろ」
「……はぁ。そんな顔されたら出るしかないじゃないですか」


と三郎は墨が乾いた記録帳を閉じ、墨と硯を持って部屋を出て行った
──帰り際、耳元で今度何か奢ってくださいと条件をつけて
全く可愛くない奴


「……人に過去を話すなんて苦手なんだけどなぁ」
「何を言っている。私達の過去は知っているだろう」
「だから余計だよ」


六年しかいなくなった部屋で、溜息混じりに呟けば、仙蔵が鼻で笑い飛ばしてきた
何処から話べきかと考えようとしたが、下級生の頃から共に過ごしてきたことを考えると、初めから話した方が良さそうな事に気付いた
──消し去りたかった過去は今では文次郎との良い思い出。だけど、それを軽々に口にできるほど思い出したい過去ではない


「……知っての通り、私の本当の名は。“”という名は元々私と双子の弟の名前だったんだ」


***


今から15年前。家に男女の双子が生まれた。女児を、男児をと名付けられた。毎日が幸せの日々……の筈だった
数年後を産んだ母親は病に犯され死んでいった
その日からだ。一族が……特に父親が可笑しくなったのは
笑顔で溢れていたはずの日々は、徐々に静かになり、聞こえるのは父親の怒鳴り声
それを聞きたくない2人はよく抜け出して、隣の家に住む文次郎の元へ避難し共に学んでいた
は家を継ぐ者だと良く父親が怒っていたが、当の本人は病弱で良く熱を出し倒れており、その度にと文次郎、姉の蓮華が看病していた

それから更に数年後。3人が6歳になる年の事。と文次郎に看取られこの世を去った
その夜、は父親に呼ばれ、狂った目をした父親にこう告げられた


が死ぬはずがない。死んだのはだ」
「私はです。父上!」
「何を言っている。お前はだろう。なぁ蓮華」
「…………はい」
「姉さん!?」
「お前は今日からだ。は死んだ。わかったな」


その日から苦痛の日々が続いた
普段の口調で話せば叩かれ、女らしい姿を見せれば殴られる
姉はその光景を見る度に顔を逸らしていたが、直ぐ隣の町の武家に嫁いで行った
その時の嬉しそうな姉の表情は一生忘れられない
唯一の救いだったのは、文次郎と2人だけの時はに戻れた事
誰かが近くにいればとして過ごし、女である事、である事を悟られぬよう気を張っていた
その甲斐あってか、いつしか初見の人間はで女であると気付かなくなった

また幾年か経ち、10になろうとする年の事。 いつもの場所で本を読んで文次郎を待っていれば、血相を変えた文次郎が走り寄ってきた


!」
「どうしたの。そんな慌てて」
「この近辺に忍を養成する学舎があるらしい」
「それが?」
「俺はそこに行く。を守れる忍になる為に」
「俺も行く!」
「だが、お前は女で……」
「文次郎……俺はだぞ。それにお前と離れるなんて考えられない。父上に相談してみるよ」


その日の夜、父の部屋を訪ねてみれば、晩酌をしていた様で、酒を片手にこちらに目を向けていた


「父上。ここ近辺ある忍育成の学舎をご存知でしょうか」
「忍育成の学舎だと……?それがどうした」
「私をそこで学ばせてください」
「武士の小童が忍になると申すか!」


だんっ!と畳を叩き立ち上がる父に思わず目を瞑るが、この反応は想像していた通り。ここで怯む訳にはいかない……


「……私はこれから更に戦国の世になるであろう、この日ノ本を乗り切るには忍の技術が必要であると考えます」
「ほう」
「それに忍の心知らずして、忍を従える事などできるのでしょうか。忍とて一人の人間。感情というものは存在する。それを上手く利用した者こそが、この世を征するのではないでしょうか?」


賭けだった。必死に言葉を探した結果だ。でも悔いはない。考え込む様な視線をに向ける父親。考えが決まったのだろう、静かに腰を下ろし、お猪口に注がれた酒を煽った


「面白い。そう言う事なら通うが良い。ただし!3年だ。3年で結果を出せ、良いな」
「ありがとうございます」


こうして文次郎と共に忍術学園の門をくぐった訳だ


***


「……これでお前らと出会った頃にぶつかるな」
「蓮華さんに対し頑なにだと言っていたのはどうしてだ?」
「本名はでもとしてここに通っている身。ここにいる以上はとして通さないと」
「それだけじゃないだろ」
「ははっ。なんだい小平太。勘か?」


留三郎の問いの答えに、すかさず突っ込んできた小平太。周りを見れば頷いており、誤魔化しは効かないようだ
早く答えろと仙蔵の視線が訴える


「“が死んだ”と肯定した姉にと呼ばれたくないんだよ。あの時点で姉さんが知っている“”は死んだんだから」
「だが、蓮華さんはお前を心配して」
「留三郎……論点がズレている」
まだ何か隠しているね。君が今まで女であると徹底して隠していた理由は分かったけど、隠さなくなった理由もあるんだろう?」
「誤魔化しは効かんぞ。全て話せ」
「……父が3年の時、死んで隠す必要がなくなったんだよ」
「それだけか?」
「包み隠さず話せってか。人の過去なんて知って何がいいんだか」
「文次郎の為だぞ」
「そう言われると言い返し辛いわ!!」


***


学園生活は楽しかった。学園長のおかげもあって文次郎と同じ組。仙蔵と仲良くなり、ろ組やは組とも喧嘩しながら仲良くなった。年齢が上がるにつれ脱落者が増え、行儀見習いが消え、人数が少なくなっていったが……
俺が“”ある事を隠すきっかけとなった父親から文が届いたのは、夏休みが終わって直ぐ、ススキが綺麗に垂れ始めた頃だった


「文次郎……帰還命令がでてる」
「俺にもか?」
「あぁ。何を考えているんだ父上は」


父の命令は絶対。案は出す事はあれど、父から発せられた命令には背けない
忍術学園に入れたのは、自分から言った事と意見を述べられたからである
──酒が入ると上機嫌になる父親を利用した訳じゃない

学園長に許可をいただき帰ってみれば、久ぶりに見る姉の姿が
首を傾げつつも、文次郎と別れ父親の部屋へと向かう


ただいま戻りました」
「入れ」
「失礼します。遅くなり申し訳ございません。手続きに少々時間がかかりまして」
「別に構わん。見合いを受けろ」
「い、今何と?」
「見合いを受けろと言ったんだ」
「相手は」
「隣町の女子おなごだ」


耳を疑った。いくら──男──として生きていたとしても、──女──である事は変わらない。見た目はいくらでも誤魔化せる。その術を学園でも習ったから。それでも体は誤魔化せない。それを知っていて嫁を貰えと言っているのだろうか


「父上!いくらとして生きていても元はである身。同性と結婚など」
「何を言っている。お前は男であろう」
「!!……父上。私は女で、の代わりをしているだけです!父上は一度も私に男になれとは言っておりません」
「黙れ!まだ我に意見するというのか!」


立ち上がり、私の胸倉を掴む父に睨みつけられるが、不思議と怖くなかった
忍術学園で学んでいるお陰なのか、それとも、その日の父の睨みが実は優しかったのか。真相は誰も分からない
胸倉を掴んでいる父の腕を両手で掴み、こちらも負けじと睨みつける


「……私が嫁を貰ったとしても相手に迷惑がかかる上、跡継ぎの子すら生まれません。それを充分ご理解ください」
「この我に指図するつもりか!外の世界を知らぬ小童が!」


いつもの様に拳を振り上げ、振り下ろされる
この瞬間はいつまで経っても慣れなくて目を瞑る。痛みに耐えるように。自分を殴る父など見ないように
鈍い音ともに痛みが体を突き抜ける
不思議と父に殴られるこの痛みは、友に殴られるよりも痛くなかった。何が違うのだろうか
痛みに耐えるようにゆっくりと瞼を上げれば、握り拳に力を入れ二発目を繰り出そうと拳を上げた父の姿が見えた
──来るっ!
そう思って目を瞑る。しかし、次の瞬間聞こえてきたのは、グサッという何かが刺さる音と父の重苦しい呻き声
瞼を上げ、父を見れば、苦しそうに手を心臓に当てていた
……何が起きたのかわからなかった


「父上?」
「ゲホッ……もん、じろう……貴様」


父の吐いた血が体にかかる。私の胸倉を掴んでいた父の手は離れ、一歩二歩とバランスを崩したように下がる
父の後ろには血がたっぷり付いた刀を構えた文次郎の姿があった


「……俺はを守るんだ。そう約束した」
「文次郎……」
として嫁を貰うなら、として俺が嫁に貰うまで」
「こ、わっぱ……が、この我をっ」


苦しそうに倒れる父。鋭い目をし、父を見下ろす文次郎
体に跳ね返った血が全てを物語っているのに、何が起きたのか未だに理解できない
ただ、父を見下ろしていた文次郎が顔を上げ、優しそうな目をして笑う
何かがプツンと切れたように体の力が抜けた


「あぁああぁあぁあっ!!!!」


***


あの日の事を話し終えれば、黙り込む5人
何を思ったのかなんて、今回ばかりはわからなかった

「……まぁ、そんな感じ」
「それで、四年のあの日文次郎は……」
「人を殺す苦しみをあれよりも前に知っていたから」
「皆の為に動き、人一倍苦しんでいたんだよ。……母の死もの死も父の死も、そして俺が人を殺したのも、不思議な事に全部長月なんだ」


思い出すのは簡単だけど、いざそれを言葉にするのは恐ろしく勇気がいった
自分だけの過去ではないために余計に
私にとって夏から秋へと変わる長月は、今も昔も好きになれない時期だった。呪われているのではと感じるぐらい不幸な事が起こる。自分の周りで
──何度も死にたいと思った。それを助けてくれたのはいつも文次郎だった


「こんな濃い内容だから、頭打ったら意外に早く戻ったりして」
「伊作それは……」
「冗談だよ。でも、そういう考えも出来るって事」
「図書室で手掛かりを探してみよう」
「ありがとう長次」


さて、天女様
一つゲームをしましょうか。
貴女が勝てば、一つ願いを叶えましょう。
その代わり私が勝てば、貴女にはここからご退出願いたい。
なぁに。ゲーム内容は簡単ですよ。
今日から朔の日までに
文次郎の記憶が戻れば私の勝ち。戻らなければ貴女の勝ちです
拒否権は許されない。既に駒は揃っているのだから──。