天女に奪われた彼

「そこまでじゃ!!」


意外にも近くから聞こえた言葉にピタっと苦無の進みを止める。あと数秒遅ければ、この苦無は文次郎の胸に刺さっていたであろう。懐に再び戻しながら声のした方に顔を向ければ、そこには数人の先生を連れた学園長の姿が


。時間じゃ」
「はっ!……報告いたします。結論から申し上げますと、先日からの報告通り、あれは我々にとって排除すべき存在であると確定かと。しかし恐れながら一つ条件が達成できておりません」


跪いて報告する俺の顔は実にひどかったことだろう。苦虫を噛み潰したように顔を歪ませる


「そうか……。して、。一つ約束をしていたんじゃったな」
「……どちからが彼の元から去る。というものです」


ざわりと周りが声を漏らすが、それも一瞬ですぐに学園長に視線を戻す
俺の表情を見たからなのか、学園長は悲しそうに眉をハの字にさせた
それを見ないふりして、懐から苦無を取り出し学園長に差し出した


「わしはやらんぞ」
「……。はは。敵わないなぁ。ご無礼失礼いたしました。学園長また後ほどお伺いしても?」
「茶と将棋盤を出して待っておるぞ」
「ありがとうございます」


あとはお主らでやれ、とサラッと言い放ち去っていく学園長
消えた緊迫感にホッと息を吐く。天女を見れば緩みきった顔でこちらに近づいてくる


「いつがいいかしら」
「本当に自分の欲望のためなら何でもするんだな。気持ち悪い」
「悪い?……文次郎くんにお願いしたいの。だめ?」
「あ。……あぁ」


先ほどとは一変した態度で笑みを浮かべながら、歩み寄る天女様
あれだけ人殺しはダメだとか抜かしていたくせに、いざ自分にとって不利な状況に陥ると、すぐ殺せと口走る。我が儘を通り過ぎている
あぁ……また文次郎に背負わせてしまうのか


「じゃあ、月が頂点に来た時にしましょう!」
「お言葉ですが、天女様。今宵は新月。月など見えませんよ」
「えーそうなの?じゃあ、4時間後にしましょう!」
「4時間後っていつだ?」
「え?」


呆れた……。あなたの時間の表記とこちらの時刻の表記、違うと何度も申し上げたはずですが。まぁ、俺の言葉など聞く耳持たずでしたもんねぇ?天女様


「では、天女様。あなたの国では一日はどれぐらいでしたか?」
「え、一日?24時間よ」
「二刻後……だな」
「ふうん。時間も通じないのね……大変だわ」
「私は席を外すよ。場所は天女様、あなたがお決めになればいい。あぁ……学び舎の中はやめてくれよ。血生臭さが教室に残るのは教育上よろしくないからな」


文次郎の顔を一切見ず、天女に態とらしくお辞儀をして、この場を立ち去る。誰か天女の為に泣くものか。天女の命もあと数日だろう。きっと彼らが黙っていない。彼女の味方は文次郎だけなのだから──


***


「学園長今までお世話になりました」
「そんなことを言うんじゃない。お前はいつまでもワシの生徒じゃ」
「……学園長は私の我儘を聞き入れてくださった。彼処で頷いてくれなければ、俺はとして生きていけなかった」
「お主はいつでも他人を想い、自分を蔑ろにしてきた。今回もそうじゃな……この世に未練はあるか?」


将棋を打ちながら聞こえる学園長の声。最後の授業だ。良い音がなる将棋盤に駒。時折聞こえる湯を啜る音。あの日以降の私の支えの一つ。甘えだと思っていた。六年は大人であれと何度も自分に言い聞かせてきた。事実何一つ間違っていない
だけど、ここは子どもでいさせてくれる一つの空間だ。学園長は一年はもとより六年までも自分の子として考えてくれていた──年季が違うと何度思ったことか


「未練。未練ですか。何一つ……なんて答えられたらよかったのかもしれませんが、そんな物分かりのいい子じゃないんですよ俺って」
「知っておる」
「皆と共に卒業したいですし、死んで行った仲間の分まで生きたいし、文次郎の記憶を取り戻したい……後悔の念しか思い上がりませんよ。親に愛されていたけど愛されてなかったですから」


親がという存在を可愛がって、愛してくれていたのも知っている。私の存在を生かしてくれていたのも知っている。ただ、その愛が最愛の人の死によって、狂って歪んでしまっただけだ
そして、子孫を残さなくてはという父の焦りも知っていた。無碍にしたのは自分だ
お見合いの相手が男だと知ったのはいつだったかな。あれは父が死んだ次の年の帰省の時だ。たまたま見た、埃を被った綺麗な色和紙。興味本位で開いてみれば、一人の男の人相描き。見開きの右側にはその人の経歴があったのを覚えている。もう、相手の名も顔も忘れてしまったが。尤も彼とは絵のみで実際に拝見したことはないのだけど。
父のお眼鏡に叶う人物だったのだから、きっと家の跡取りとして申し分なかったのだろう


「学園長。どうかお願いです。文次郎の記憶が戻ってもあいつを……」
「お話中失礼いたします。五年ろ組鉢屋三郎です。入ってもよろしいでしょうか?」
「どうぞ」
「失礼します。先輩!」
「将棋中だからな。一局終わるまで少し待ってくれ」
「かしこまりました。では」
「して、。先程の話じゃが、ワシにはどうすることもできんぞ。生きて欲しいなら自分でなんとかするのじゃ」


三郎は俺の後ろに回り、腰を下ろす。そのまま慣れた動作で、背中の熱を移すように俺の背中に寄りかかる
少し重いがまぁいいか。と小さく笑い、将棋盤に視線を戻す。あぁ──いつのまにかまた詰められている


「手は打ったので、さらなる手をと、思ったのですが……それなら諦めましょう」
「詰めが甘いぞ。王手じゃ」
「……いつものことですよ。参りました」
「お主をここまで育てることができてワシは幸せじゃ。の様な生徒は今後も会うことはないじゃろうて」
「それは私がであるからですか?」


笑いを込めて学園長の言葉を返す。きっとこれでお終い。学園長はこれに対して正確な答えをくれなかった。さてな。とお茶目に笑うその姿に何度支えられ、敵わないと思ったか
ありがとうございました。と全てに対しお礼を込めて一言。感謝でいっぱいのこの気持ちを一言で表すなんて無理だけど、きっと全て悟ってくださる。だって学園長なのだから
三郎におまたせ。と声をかけて立ち上がる。三郎も合わせて立ち上がり、学園長に声をかけて俺の一歩後ろを歩く
自分の部屋に着くまで三郎は無言だった。何か言いたげな表情を隠すように、ただ下を向いて俺についてきた
部屋の障子を開けて中に通す。障子を閉めた途端に抱き締められた。押し倒す勢いで抱き締められたため、力に耐えられずそのまま倒れ込む
ただただ俺を抱き締める三郎の体は震えていた


「三郎」
「イヤです」
「……三郎ごめんな」
「イヤです!先輩がいなくなるなんて!今すぐ俺がっ」
「三郎、いいんだ。お前が天女のために手を染める必要はない」
「でもっ」


ポンポンとあやす様に背中を叩く。嗚咽が混じる言葉一つひとつが痛い
一年の頃、誰にも懐かなかった三郎が唯一俺にだけは懐いていた。先輩達に対してもプイッと首を振っていたのにも関わらず、俺の言葉には一つひとつ耳を傾けていた。その感情が何かまでは気づけなかったけど、何か感じていたのだろう


「三郎……今日からお前を学級委員長委員会委員長代理に任命する。学園のトップとなり、後輩をまとめてくれ」
「俺にはそんな大役務まりません」
「そんな事ないさ。五年間ずっと俺を、先輩を見て来ただろう。それが糧となりお前を支えてくれる……あぁ、そうだお前にこれを託そう」


胸元を漁り目当てのものを取り出す。綺麗な袱紗に包まれたそれを紐解けば、紫色の結い紐。見覚えのある三郎は目を見開き、と結い紐を見比べる


「これは……」
「懐かしいだろう。切れて仕舞っていたのを思い出してな、先日直してもらっていたのさ。つけろとは言わんが持っていてほしい」
「だってそれ、先輩の」
「あぁ、昔弟に貰ったものだ。だから三郎お前に持っていてほしいんだよ。あぁあと三郎一つ俺の願いを聞いてくれないか」
「何でしょう」
「俺が死んだらこの部屋の荷物処分してくれ。あぁもちろんお前が欲しいものは持ってってくれて構わない」
「……はい」


結い紐を握りしめ悔しそうに笑う三郎の頭を撫でてやる。三郎はぐるりと辺りを見回し、決意をしたようにしっかりと頷いた


「本日付を持って私、鉢屋三郎は学級委員長委員会委員長代理を務める事を誓います」
「あぁ。よろしく頼むよ……さて、文次郎何か用か?」


三郎の引き継ぎの言葉を聞いていれば、こちらに近づく気配。知った気配故、声を掛けようか迷って佇むその姿に向け声をかければ驚く声が二つ
なんだ、三郎も気付いてなかったのか


「あ、あぁ……場所を伝えにきた。裏山だそうだ。遅れずに来い」
「言われなくても。さぁ三郎行ってくれ」
「先輩。いままでありがとうございました!」


一礼をして立ち去る三郎。その姿を最後まで目に焼き付ける。あぁ、何故今になって涙が出るんだ。ここに生を受けただけで、この学び舎で学べただけで幸せじゃないか
不思議そうに見つめる文次郎に目を向け、溜息一つ。手紙届いているといいんだけど……


「さ、行こうか文次郎」
「……お前はどうして、そんなにも普通なんだ」
「何が?死ぬ事が?殺される事が?」
「全てだ」


呼んだのは文次郎の筈なのに、裏山に向かう道を先導切るのは
足取りが重い文次郎に対し、軽い足取りで道を進んでいく
そんな死んでいく人間の足取りが軽いなんて考えられないと、文次郎は質問を投げかけた
不思議と軽い足取りの意味は分からないけど、死ぬのは怖くないんだ。ただ不満は天女の策に溺れた事。いや、違うな。自分の蒔いた種に首を絞められたのが気に喰わないんだな


「別に。知らない人間に殺されるよりマシだな」
「俺は……」
「殺したくないなら、天女様にそう言いなよ。あの人がそれを望むかは別だがな」
「そういう事じゃない」
「じゃあ、何だい?」


踏み出した足を元の位置に戻して文次郎へ体を向ける。そこには苦しそうな顔の文次郎が。何時ぞやのように手を伸ばして文次郎に触れる──今度は拒まれなかった
文次郎は焦点の合わぬ瞳で、ただ私を見ている。まるで考え事をしているように


「……本当にお前を殺していいのかと俺は悩んでいる」
「それは……」
「大きな何かを失う気がしてならない」
「なら、言えばいい。天女様に同じ事を」


俺とて逃げるのは簡単なんだ。死んだフリして生き延びることも……。文次郎を説得して、人形を用意して、殺される直前に入れ替えれば
でもそれは俺のプライドが許さない
だから、こうして素直に従っているんだから
記憶が戻らぬ文次郎をいつまでも縛っておく必要がない……いや、縛っておけない
これは家の呪いなのだ。父を裏切った俺が受けるべき罰。文次郎に全て被らせてしまうのは申し訳ないけど
それ以降文次郎が口を開くことはなかった。無言で裏山へと足を進める
はこの景色を忘れぬように目に焼き付けていた。二度と見ることができないこの景色。幸せな日々の思い出。全部全部持って逝こう
裏山に着いたら天女が待ち受けていた
月明かりがない今宵の明かりは、僅かながらの松明
天女はつけることができないから、誰かが油をさして火をつけたのだろう
嬉しそうに笑う天女様が気持ち悪い。人の死を何だと思っているんだ。後から駆けつけた伊作もそうだったのだろう。盛大に顔を歪めている
伊作が最後だったようだ。六年は皆、天女とは程遠い場所でそれぞれ特物を持って待機している
文次郎も特物を手に取っていた


「文次郎……全力で組手をしよう。俺も全力でやるからさ」
「あぁ……手加減なしの全力だ」


さっきの殺り合いの様に殺気を込めて、全力で。そう言ってやれば納得したのか頷き、袋槍を構えた。猫手を構え、息を吐く。ここからは殺し合い。自分が死ぬための……

間合いを詰めて攻防を繰り返すその姿はどう思われているのだろう……袋槍の刃先が身体を掠る。掠るたびに血が滲むが、死に至る量じゃない
ジリジリと痛むその傷はまるで死ぬことを咎めているように感じる
考えに耽っていたからだろうか、慣れているはずの着地に僅かながらに失敗し、体勢を崩す。それを見逃す文次郎ではない。瞬時に詰め寄り、刃先だけとなった袋槍を俺の腹に向かって突き刺した


!!」
「うご、くな……っ!みて、ろ」
「でも!!」


ガンッ!と強い衝撃が頭に響く。腹に刺された衝撃でそのまま身体ごと地面に叩きつけられたようだ。かはっ!と血を吐き出すに伊作が駆け寄ろうとするが、自身がそれを止める
腹の痛みが思考を奪う。痛いと喚きそうになる声を奥歯を食いしばり必死に抑えれば、霞かけていた視界に僅かながら光が戻る。普段よりは悪い視界に映る文次郎。どうしてだか、凄く悲しそうだ


「あ、あ、俺……」
「文次郎くんカッコいいわ!」
「触るな!」
「「「「「「「!!」」」」」」」
!お前を……」
「記憶……戻ったのかい?」
「ここでかよ」


近寄って来た天女の手を振り払い、文次郎はの側に寄る。腹に刺さったままの袋槍を見て、顔をしかめ、それを一気に引き抜いた
カラン……と袋槍が転がる音がする。視界の端に映っていたはずの文次郎が視界いっぱいに広がった
血がドバドバと流れる腹に止血するように手を置き、必死にの名前を呼ぶ文次郎。体全体が痺れる中ゆっくりと腕を動かし、文次郎の頬に手を添える


「よかった……ごめんね、全部……文次郎に殺らせて」
「俺が悪かった!だから、死ぬな!
「もう……いいんだ。村の、みんなにも、たくさん……迷惑、かけたから」
「だからって!俺はお前がいないとっ!」


文次郎が目に涙を浮かべ、必死に治療をしようとしているがこの出血量で助かるとは、とてもじゃないが思えない。首を小さく振って止めさせようとするも、文次郎は止める気配がない。ただ我武者羅に止血しようとしているとしか思えない
は頬に添えていた手をゆっくりと唇に持っていき、親指の腹でそっと触れる。少しカサカサした唇……。久しく触れてないそれはなんも変わってなかった


「愛しているよ……文次郎」
「俺もだ……だから、お願いだ。生きてくれ」
「そんな、かお……しないで」


霞む視界。もう殆ど見えていない。文次郎が止血していた手を離し、自分の頬にあるの手をそっと握る。血だらけの手の温もりも、あまり感じられない。ゆっくりと近づかれた文次郎の顔に従うように目を閉じる。一瞬だけ触れ合った唇……。嗚呼、最後だからとされた接吻の感覚も味も、殆ど分からない


「ありが……とう」
っ!ーーーっ!!!」


目を開ける力もないままは薄っすら笑い、その後力が抜けたように項垂れた──


──生きてくれ
その願いを伝えど叶わなかった


力なく抱えられている存在の熱は、僅かながらに残っているものの生きているとは思えない


──ずっと感じていた違和感
その正体に気付けたというのに


名前を呼ばれる度に心が締め付けられる感覚は、どこで覚えたのだろうとずっと疑問だった


──名を呼べば微笑むお前に
涙がこぼれ落ちる


漸く名前を呼べた幸せに、いつも通りの表情をしたその顔に涙が止まらなかった


──嗚呼。忍になると決めた筈なのに
今やその思いは崩れて消える


色褪せた世界で生きる意味など見つかるものか。失った色を取り戻すことはできないのだから


──神など信じぬと誓った己の罰なのか……