天女に奪われた彼

──と、まぁこんな感じで彼女の時間は終わりを告げた。でも、自分達の時間はまだたくさん残っている。もちろん、死んでないからね
その後何が起きたか聞きたいって?……決して話せるような話じゃないんだけど。でも、そんなに気になるなら語ってあげようか
でも、僕的にはその後の時間よりも、僕らの時間も終わった後に起きた奇跡を聞いてほしいけどね。ま、それも語るとして……これから語るのは、あの後何が起こったか
決してハッピーエンドとは言えない結末だけど……


***


「……呆気ない死に方ね」
「なにを言って……」
「もう少し抵抗するかと思ったのに」
「人の命をなんだと思ってるんですか!!」
「……あたしの世界にあの子はいらなかったのよ!」


雪姫は長次の手を振り払い、を抱え泣き崩れる文次郎の前でを睨みつける。その表情は天から落ちてきた女とは到底思えるものではなかった。私利私欲のために人を殺すように命じる、人間そのもの
やはりこの箱庭には不要な存在だと、瞬時に判断した留三郎と小平太は己の特物を構え時が来るのを待っている。仙蔵と長次も決して武器を構えることはしないが、雪姫が逃げられないように間合いを詰めた。伊作はと言うと、雪姫の視界にと文次郎を入れぬように前に立ち、手を思いっきり振り上げた

バチンッ!


「私利私欲のために人を殺していいんだったら、僕らは貴女を随分前に殺しているさ!!」
「伊作!!」
「どれだけ、僕らが苦しんだと思ってるんだい!?僕らのを、文次郎のをあんなに苦しめておいて……貴女はただの人殺しだ」
「……何よ。ただのキャラクターのくせに」
「貴女にとっては紙の上の人間でも、私達は“今”を生きている。それを否定するのは許さん」
「あなた達だって人殺しじゃない!」


その刹那、空気が凍る。伊作に頬を打たれた雪姫は頬を抑え、伊作を睨みつけている。もちろん、その頬は赤い
怒りに任せて言葉を繋いでいた伊作が、雪姫の視線から逃れるように顔を逸らす。その後の言葉を繋いだ仙蔵でさえ
忍とて人間だ。幾ら心を無にしようとも、人として罪を背負う。人殺しは罪だ
いつ死ぬか分からぬ、この時代に生き抜くために、生を掴むために忍は人を殺す……罪だと自覚をしながら


「生きるために人を殺すのと、自分のために人を殺すのの何が違うの?」
「……雪姫は、罪の自覚があるか?」
「正当防衛よ」
「正当防衛には当てはまらないぞ!」
「でも、あたしは殺されそうになったのよ!」
「殺されそうだから、殺す……でも貴女は手を染めてない。正当防衛とは言えないよ」
「どういうことよ!」


癇癪を起こした子供のように、騒ぎ立てる雪姫。罪の意識がない人殺しなど、ただの私利私欲だ……。が了承したとは言え、やっぱり止めておけばよかった。こんな奴に自分の仲間を殺されたと思うと、怒りが込み上げてくる
武器を持った小平太と留三郎が今にも雪姫に襲い掛かりそうだ
何かに気づいた様に顔を上げた文次郎が、ある一点を見て口を開く。あまりにも小さい声か、音を出さなかったのか、雪姫はもちろん、自分達も聞き取ることができなかった
ただ、文次郎の視線の先から溢れ出る殺気に警戒をするが、雪姫に向かって放たれた武器には見覚えが。器用に雪姫の頬を掠め、近くの木に刺さったそれは鏢刀──を慕っていた鉢屋の武器だ
元々一手で打ち抜こうと思っていなかったのだろう。いつもの飄々とした表情……否、怒りを込めた表情で現れた鉢屋に雪姫が一歩下がる。血が出る頬を抑えながら


「お黙りいただけますか?天女様」
「さ、三郎くん!」
「来たのか……」
「えぇ。先輩のことをお慕い申しておりましたので」
「そうか……すまない」
「そう思われるのなら先輩、一仕事を」
「……あぁ」


雪姫を一切見ない鉢屋は、文次郎に一本の刀を手渡す。仙蔵達には見覚えのないそれは、文次郎には見覚えがあった。鞘には木通の花の装飾がされた短刀。鞘から刀を引き抜けば、刃こぼれなく手入れの行き届いた刃が現れる。この刀の意味を知らぬ誰もが、その刀の美しさに眼を奪われていた


「何故お前が……」
先輩の部屋に。好きにしていいと言われたので」
「……そうか」
のじゃないの?」
「これは、の母上──木通様の刀だ。本当かどうかは知らんが。でも木通の花がきっと証明だろうな」


美しいのはきっと多くの血で染まっているからだろう。噂でしか知らないが、彼女は女でありながら武家の家に恥じぬ様、多くの偉業を成し遂げた。の家に嫁いでも立ち居振る舞いは完璧だったと村の大人達は口々にそう言っていた
文次郎は仙蔵を呼び、を預ける。一瞬渋った仙蔵だったが、自分の位置からでは見えなかったの表情を見て、文次郎の肩を叩いた
──幸せそうに眠る彼女の表情が、苦しそうにしていた数日前の彼女と同じとは思えなかったから
フラッと糸が切れた様に崩れ落ちる雪姫に驚きの表情を見せるが、鉢屋の表情を見て全てを察する


「痺れ薬の効果は如何ですか?天女様」
「し、びれ……薬?」
「鏢刀に塗ってあったんですよ。忍者ですから」
「抜かりねぇな」
「えぇ。俺は貴女を一生許しませんから」
「これ以上、お前の好きにはさせん。死をもって償え」


短刀を振り上げ、雪姫の心臓を突き刺す。寸分の狂いもなく心臓に刺さったそれを抜けば、血が吹き出し辺りを染めた。心臓の機能が停止した雪姫に生きる術はなく、目を開いたまま息を引き取った
天女の呆気ない最後に誰もが困惑を隠せない。こんなにも脆い人間に何人が魅了され、振り回されてきたのだろうか。雪姫を刺した文次郎は血の付いた刀を一振りし、血を払い鞘に納める
表情はいつになく無。普段では考えられないほど表情が欠落していた。留三郎が文次郎のその表情に身震いする。それをずっと見ていた小平太が何かに気づいた様に文次郎の前に立ち、手を握る。パチッと明かりとして灯した炎が爆ぜた


「文次郎」
「なんだ」
「死ぬなよ」
「……さぁな」
はお前に生きて欲しいと言ってたぞ!」
「だろうな」
「そろそろ……戻ろう」
「そうだな。天女は俺が埋めるわ」
「頼んだぞ留三郎」


夜も深くなってきた。戻るという長次に対し、文次郎はもう少しここにいると答え、それに同行する形で鉢屋も残ることになった
嫌な予感がするのは皆同じであるが、何も起こらぬことを祈って長屋に足を進める。留三郎が雪姫を抱え、小平太と共に姿を消した。──きっと裏山のどこか、誰もしない場所に雪姫を埋めるのだろう

次の日学園長先生から聞いた言葉に、この選択は間違いだったことを知ることになる──

文次郎は木に寄りかかって眠るの隣に腰掛け、冷たくなったの手を握る。鉢屋はその前に胡座をかいて、座り込む。本来であれば咎められるこの体勢も、今夜ばかりは許された


「潮江先輩」
「……なんだ」
「やはり、死ぬ気ですか?」
「……色褪せた世界で俺は生きれる気がしない」
「俺は止めません。でも、俺は生きる事にしました。先輩が教えてくれたことを後輩達に教えるんです」
「……所詮俺は、に依存していたんだ。がいるから、を守りたいからと」
先輩も同じ事を言ってましたよ」


その一言に目を見開く文次郎。普段ではありえない表情に鉢屋も驚くがこれが素であると確信し、静かに頷いた。空いている手を顔に持っていき、表情を隠す文次郎。一瞬見えたその表情は、何か考えている様だった


「あの見合い話、本当は嘘だったんだ……」
「見合い話?」
「あぁ……お前は知らないのか。俺達の過去を」
「先輩方しかご存知ないと思いますよ。あの日追い出されましたから」
「そうか……じゃあ、昔話として聞いてくれ。俺しか知らない、あの日の真実を」


***


そう、あれは三年生の秋……丁度このぐらいの時期だな。の元に届いた一通の文が始まりだった
として学園に通っていた訳だが、3年で結果を出さなければ家に戻される予定だったんだ。だが、下級生は行儀見習いの者も多い為か、忍としての多くを学べず俺もも少し焦っていたんだ。家当主、清一様も焦っていらっしゃった。との関係修復を望もうにも、自分の一言で全てを変えてしまったから
が貰った手紙の内容は帰還命令だったからな、が学園長に確認しに行ったわけだが、その後俺にも清一様から手紙が届いてな……多分わざと時間差で出したんだろう。その内容に驚愕した訳だが……。簡単に述べるとすれば、“宛の見合い話”“相手は自分ではないこと”そして、“ひとつの計画の内容”。恐ろしいと同時に父親だとも感じたさ


「……その計画の内容はなんだったのですか?」
を苦しめていた父親が必死に考えた、娘が幸せになる計画だ」


程なくして、学園長から許可をいただき帰省した訳だが、俺は家には行かず自分の家に待機を強いられていた。それもその筈、この計画俺の親も関わっていたのだ。母親から受け取った手紙には次の指示が書かれていてその指示に従い、屋根裏から清一様の部屋を覗き込んだんだ

覗き込んで見た光景は、が清一様に胸倉を掴まれているところだった。掴んでいない手は拳になり、の頬を容赦なく殴った。鈍い音が部屋に響く。おかしなことに纏う雰囲気はいつもとは違い、いつか見た優しい父親そのもの
屋根裏から降りることに躊躇したが、それは許されぬと腹をくくり、音を立てずに降り立ち、清一様の背中、つまりの死角の場所に身を潜めた
こうなったら、自分の覚悟次第だと。もう後には戻れないと小さく一度深呼吸。もう一発と拳を振り上げた清一様に向かって刀を突き刺した──


「父上?」
「ゲホッ……もん、じろう……貴様」
「……俺はを守るんだ。そう約束した」
「文次郎……」
として嫁を貰うなら、として俺が嫁に貰うまで」
「こ、わっぱ……が、この我をっ」


体制を崩して倒れる清一様。も俺も清一様から溢れる血を浴びて真っ赤だった。俺がの蓮華姉様の父を殺した。手にかけてしまった……手紙・・に書かれていた通りに……
ふと顔を上げればと目が合う。安心させる様にぎこちなく笑えば、緊張が切れた様に声を上げ、気絶してしまった


「これで、これで良かったのですか清一様……?はきっとこんなこと望んでいなかった。ただ昔の様に笑っていただければ良かったと思います」


手紙に書かれていた内容とは、清一様が作られたを幸せにするための計画。俺が清一様を殺し、全てを白紙に戻す──。何ヶ月も前から緻密に計算された計画だった。この計画、知らなかったのはだけ
もし、として見合いを受けることなら、引き合わされるのは俺だった。色和紙に描かれていた人は空想上の者。女にも男にも見える中性的な顔……仙蔵や伊作、久々知みたいな顔だな。にしていたらしい


***


「……とまぁ、こんな感じか」
「先輩は本当に知らなかったのですか?」
「少なくとも俺は話してないから知らんと思っているが、この期間で話されているかもしれん」
「それも愛故ですか」
「あぁ。……鉢屋。俺らの体は桜の木下にでも埋めてくれ。きっと来年良い色が付く」
「どうして貴方方はそこまで思考が同じなのですか」


普段は見せない表情で笑う文次郎に鉢屋は顔をしかめる。その表情はがよくしていた。ここまで似るものなのか……と疑問を出すも、それに答えてくれる様子はない。きっと答えなどないのだろう。ずっと同じ時間を共有した幼馴染だから、思考が似たのだ。それだけだ。答えを貰えない疑問に自分で回答する。そしてこれには正解など存在しないのだろう
文次郎は覚悟を決めたのか、を握る手と逆の手で袋槍の穂先を握る。手は震えていなかった
真っ直ぐ振り上げたそれを、腹に向かって思いっきり振り下ろした
よく研がれたそれは、無意識に硬直する身体を貫き深く刺さる。痛みに呻きを上げる文次郎に鉢屋は立ち上がり、一歩後ろへと下がる


「先輩。この後はどうされますか?」
「抜け……は、ちや」
「……仰せのままに」


下がった足を再び前に出し、文次郎に近づき腹に刺さった袋槍を勢いよく引き抜く。その反動で、文次郎の口から血が吐き出されたが、鉢屋は気にせず、袋槍を二人の間の地面に突き刺した。
まだ息がある文次郎を前にして鉢屋は正座をし、お辞儀をする。その動作に文次郎は驚くも、口を出す気力もなく鉢屋の行動をただただ目に焼き付けていた


「先輩方。今までお世話になりました!潮江先輩、先輩にお教えいただいたことは必ずや、私……否、我々が後輩達に引き継いでいきます。どうぞ、安らかにお休みくださいませ。そして、幾年の年月を掛けて再び、先輩方とお会いできることを願っております」
「あ、あぁ……」
「そして最後に……先輩。貴女が女性と分かる前からこの鉢屋三郎、貴女の事をお慕い申しておりました。……潮江先輩。今幸せですか?」
「あぁ……。と共に、逝けるなら……な」
「そうですか……では」


もう一度鉢屋はお礼を述べ、この場所から立ち去った。二人だけとなったこの空間で、文次郎は静かに眼を閉じた──

次の日、学園長より天女──白鳥雪姫と、潮江文次郎の三人の訃報を全員が聞いた。内容に下級生が泣く中、上級生──主に六年と五年は拳を握りしめ、ひたすらに涙を堪えることとなった
ただ、鉢屋だけは不破の仮面で無表情を貫いていた。仮面の下の自身の顔がどうなっていたかなど、鉢屋自身も知り得ない

学園長は彼らに対し静かに言葉を残す
二人の死は変えることができたかもしれん。しかし、起こってしまった事実は変える事などできんのじゃ。皆ができる事はただ、二人の分まで生き、幸せになり、再び出会える事をひたすらに願うのみ。二人の死を無駄にしてはならぬ。良いな


こうして二人の時間は止まった訳だけど、僕らの時間は進み続けた。学園を卒業してからも学園長の言葉は残り続け、僕らは稲穂が垂れる頃に二人の生まれ故郷を訪れ願い続けた。今度こそ真っ当な人生を歩めるように、生命の炎が燃え尽きるまで生きれるように──